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2014.03.17

『Fukushima』その後−−Die Press紙に掲載

 
2014年3月11日付『Die Press』紙(オーストリア)に掲載された
市川勝弘撮影によるその後のFukushima
 
 
大震災と原発事故から3年がたった2014年3月11日、オーストリアの新聞『Die Press』にジャーナリストのユーディット・ブランドナー氏によるレポートが掲載された。ウィーンで日本語を学んだ彼女は何度も日本に滞在し、2009年と11年には名古屋市立大学の客員教授も務めた人物だ。
 震災後にいちはやく取材を始め、村上春樹をはじめ被災者らのインタビューをまとめた「Reportage Japan」を上梓し、邦訳も刊行されている 『Japan レポート3.11』(未知谷、2012年。ただし村上春樹のインタビューは未収録)。
 
 ブランドナー氏は被災地を訪ねる取材を続けている。写真の女性は、福島県川俣町で「やまなみ農場」を経営していた佐藤幸子さん。1982年に有機農法を始め、10年後に自然農法に転換して会員制による野菜の販売を手がけていた。記事を要約すると……
 
「2011年3月11日、地震と津波に加えて原子力発電所の大事故によって、福島に住む人々の生活は大きく変わらざるを得なくなった。かつて自然農法による農場を経営していた佐藤幸子さんもそのひとりである。」
 
「自然環境に恵まれた土地だったこの地は、原発事故以後、農業ができない土地になってしまった。被災という体験を通して、佐藤さんはかつての水俣事件と福島の状況に同じ構図を見ているという。 経済成長を最優先事項として、市民の幸福は二の次にされるという国の在り方だ。」
 
「事故直後には、子どもたちを守りたいと願う女性たちが集まり、その熱意から日本は変わるかもしれないという希望をもった。だが、時間が経つにつれて女性たちの強い気持ちが弱まってきている。逃げることのできる人たちは去っていった。」
 
「原発事故は私たちの普通の生活を奪ってしまった。かつての暮らしは二度と戻ってこない。それが一番ひどいことだと佐藤さんは語る……」
 
東京に暮らす私たちは、何十万人もの佐藤さんがいることを忘れてはならない。決して。 そう思うしかない今年の3.11だった。
 
記事には『FUKUSHIMA 福島県双葉郡楢葉町1998-2006』(小社刊)の市川勝弘が撮影した写真が掲載されている。彼もまた、福島での撮影を続けている。