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2012.12.24

イサドのガクブチ

 
 
 
森岡書店で開催中の「工房イサド×東恩納裕一×ムラタ有子『ガクブチとエディション』」。
イサドの本田さんに額の制作をお願いしたのは、昨年、代官山の無垢里というギャラリーではじめて作品を見たことがきっかけだ。
 
そのときは切手サイズの額から、A3サイズくらいの額まで大小さまざまなガクブチが並んでいたが、最終日に駆け込みセーフで飛び込んだために、ほとんどは売れてしまっていた。
なんとか目当てのサイズの額縁を買うことができ、さっそく『Yuko Murata』限定版に収めているムラタ有子のリトグラフを入れてみた。エディションもガクブチもそれぞれはっきりした個性をもっているのに、なぜかしっくり馴染んだ。
 
イサドの額縁は、デッドストックの古い材木や家屋を取り壊したあとに出てきた古材を組み合わせて作られている。必要以上に磨いたりせず、もともとの表情をそのまま残しているから、鍵穴のような穴や障子の桟のような形状を見ていると、その木がかつてどのようにあったのか、つい想像してしまう。ある物語をもった額縁が現代美術家の独特な世界をそっと包み込み、新たな物語を語り始める。
 
私が額装に興味をもったのは、昔、日本民藝館で棟方志功の展覧会を取材したときに端を発する。志功は柳宗悦に認めてもらいたくて、何度も作品を見せに来たのだという。そして彼の版画を見た宗悦は、民藝館に展示するために自ら額装を施した。額に納まって、初めて棟方の棟方らしいところが見えてきたのだと思う、当時の学芸員はそう言っていた。
 
額装が作品の世界を引き立てもすれば、魅力のないものにもしてしまう。
額はいわば、作品に着せる衣服のようなものともいえる。どうせなら、服も自分も引き立てたい。作品と額のいわばコーディネートの楽しさを知ってしまった今、私はイサドの本田さんの額を前にして、そのギリギリ何もしない放任主義の懐の広さにつくづく感心してしまう。なぜなら、すべてのガクブチが、まるではじめからその作品のために存在していたかのようにそこにあるから。(H)
 
 
関連サイト 
イベント情報
イサド通信「額。」 
 
#「ガクブチとエディション」 #工房イサド #東恩納裕一 #ムラタ有子