展覧会

2011.12.13

「アーヴィング・ペンのもとで」

アーヴィング・ペンは大好きな写真家のひとりで、写真集を飽かず見続けている。

 

21_21 DESIGN SIGHTで開催中の展覧会「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展には何度か出かけたが、そのたびに、ダイナミックなプロジェクションとオリジナル・プリントを飽かず見続けることになる。

 

12月10日(土)のトークイベント「アーヴィング・ペンのもとで」は、アーヴィング・ペン財団アソシエイトディレクター、ヴァジリオス・ザッシー氏が晩年のペンとの仕事を語るものだった。

 

1974年生まれのザッシー氏は、1996年に大学を卒業し直ちにペン・スタジオで働きはじめ、2002年からはスタジオ・マネージャーとして晩年のペンの活動を支えてきた人物。さまざまなエピソードが語られたが、以下は印象に残ったもの。

 

● ペン・スタジオはニューヨークのダウンタウン、5th AV.沿いにあるビルの11階にある。歩くとぎしぎしと鳴る木の床。ゴージャスではないし、さほど広くもない。彼が面接に出向いたとき、スタジオでは烏賊を被写体とした静物写真を撮影中だった。19世紀のバンケットカメラ(banquet は晩餐会のことだから、一堂に会した人々を撮影するワイドフォーマットの大型カメラ)を使うのを(この作品のネガは50×25センチのサイズだ)初めて見たザッシー氏は驚き、写真の可能性の広さに目が開ける思いだったそうだ。

 

●ザッシー氏が働き始めたとき、ペンは80歳だった。毎朝9時にスタジオ入り。自宅から歩いてくるのだ。服装はほぼ決まっており、プレスの入ったパンツにローファー、イッセイミヤケのシャツ。スタジオに着くとシャツはそのまま、ブルー・ジーンズとスニーカーに着替える。それが彼の仕事着なのだ。

 

●ペンは撮影することを shooting とは決して言わなかった。「人を撃つわけじゃない。我々写真家は、被写体がofferするものをtakeするのだ」。

 

●アプレンティス(見習い)時代の報酬は、一日8ドル。3ドルが地下鉄代、5ドルがランチ代だと説明されたそう。

 

●ペンは週末をプラチナ・プリントの制作にあてていた。ザッシー氏がアプレンティス時代に初めてその補佐をした際、一日150ドルが支払われた。「土曜日はあなたと家族のための日、その大切な時間に働いてもらっているのだから」と。

 

●プラチナ・プリントは必ずペン自身が手がけていた。調合、コーティング、感光……すべての行程を。1枚完成するまでに50時間かかっている。

 

● 2000年以降、カラーはピグメント・プリントが多い。この技法ではすべてをコントロールできるため、お気に入りだったのだ。たとえばダイ・トランスファー・プリントはサイズの制限があるが、この技法に制約がない。

……など、禁欲的、内省的、「暗室家」でもあるマエストロの横顔の輪郭が浮かんできた90分だった。

 

展覧会ディレクター、北村みどり氏にインタビューしました。

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